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【更新履歴】  
          2009/01/04 「こんな時こそ・・・年賀状のテーマ」
          2008/12/03 「清楚な 華奢な」
          2007/07/06 「事務員クラブルームチャットメンバー募集」
         
2007/07/19 「韓国ドラマ好き」
          2007/07/17 「解らない怒り」
          2007/07/14 「暑中見舞い」
          2007/07/12 [広告宣伝費」
          2007/07/11 [初めての講習」
          2007/07/09 投稿「姉のおにぎり」
          2007/07/08 「おにぎり」
         
2007/07/05 「うちわ」
          2007/07/04 「チーズ」
          2007/07/03 「異文化」
         
2007/07/02 「大好きです」
          2007/07/01 「モーニング」
         
2007/06/30 「パソコンと生活」
          2007/06/29 「私の韓流」
         
2007/06/28 「村の写真集」雑感
          2007/06/27 「パソコン教室ムラカ」part2
          2007/06/26 「パソコン教室ムラカ」
         
2006/12/01 「働くこと」

 

「こんな時こそ・・・年賀状のテーマ」

 以前にも書きましたが、年賀状、暑中見舞いには代表からテーマが出され、そこから作り始めます。今年もかなり苦戦しました。こんな時こそどうあるべきなのでしょう。大不況。明日の仕事がなくなるかもしれない不安。年齢は決して引き算にはならない。「こんな時だからこそ年賀状ではしゃいでみようか」「こんな時だからこそ穏やかな優しさをかもし出そうか」。ムラカシステムオフィスの年賀状は後者のつもりです。光や水、自然の恵みをただただなすがままに受け大地を覆うコケです。それがあまりに直球デザインでつまらないかと思いましたが、これが結構、代表にはウケ、ベスト3に入るかと言う評価をいただきました。好きな年賀ハガキの1枚となりました。良ければONページの通信ギャラリーで笑ってやってください。さて、パソコン教室の年賀状は前者。はじけたかったのですが、私自身がはじける要素を感性に備えていないようで、中途半端に終わりました。消化不良もはなはだしいのですが、まあ今後のはじけぶりをちょびっと期待してもらうために、去年と今年のデザインを載せておきます。

 2008年  2009年

 

「清楚な 華奢な・・・」

ホームページのリニューアルにページの更新が昨年のままというのは、どうも格好がつかない。書きたいと思う気持ちから、書かなければになると文章がつまらなくなります。ざざっと気持ちが引いてしまうと、一言もなくなってしまいました。しかし、「格好がつかない」。だからかいてみます。それも書き方かも・・・・。

私は、幼い頃から、「清楚、華奢」という言葉にあこがれてきました。私はでかいのです。幼稚園の頃より一番でっかくて、小さい子順に並ぶのが当時の並び方でそうすると最後になり、人数が合わないときは同じく最後であまった大きな男の子とか先生と組むのです。近所のおばちゃんたちが私と母と一緒に歩いていると、決まってこう言います。「いつも元気そうやね」。母はニコニコと「どうも」と答えます。それは思春期も過ぎ、娘盛りと世間では言う時までずっとそうで、女性として言われたら、「そんなこと・・・」とはにかむような体験などまったくありません。

「清楚 華奢」なんて・・・・ところがこの年になり初めて痩せたのです。病気で。風が強く吹くと飛ばされそうなくらいです。さて、念願の華奢がやってきたのです。しかし、この年になると華奢という言葉はもう使われないのです。「大丈夫?」・・・。気の毒そうな目。私自身も、服が全部大きすぎて新しいものを買おうかと思いましたが、きっとまた太る。このまま「華奢」でいられるわけがないと、ズボンはベルトでしめてはいておりました。病気だから「華奢」も満喫することもなく大阪のおば様たちは「痩せるとふけて見えるよ」とありがたい励ましのお言葉。さておかげさまで、体重も順調に増え只今はこれ以上太ると、膝が体重を支えられず痛み出すと医者から宣告されております。ああ つかの間の「華奢」。私の人生に自分だけですが「華奢」と見えた瞬間が。・・・・・しかし「華奢」はしんどかったです。

この年になり、目指す所が見えなくなり、外見にあこがれても無駄ととっくの昔にさとり。はてさて内面で目指す所は、正直かとか思っております。そして掲げた目標が「月に1回でもこのページを更新する」。ああもう嘘つきです。

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「事務員クラブルームチャットメンバー募集」

事務員クラブルームチャットメンバー募集中。メンバー限定のチャットルームを開設しようと思っています。私のページを見ていただいて少し話してみてもいいかな、と思われる方は、メールを下さい。

誰でも参加できるチャットではなく,あらかじめメンバーになって頂いている方に、こちらから日時をお知らせして、その時間だけチャットルームを開くという形式のものです。自由な内容で、でも冗談だけじゃなく時には真面目に、話をするようなチャットにしたいと思います。

今ある無料チャットは若い人たちがほとんどで、ついていけません。知らない人と話をして、その場だけでバイバイというのも、いいのかもしれません。しかし、私たちの年代は、そういう関係に慣れていません。(私たちの年代?えーと、鉄腕アトムをリアルタイムで知っている。浅間山山荘事件のテレビがずっとやっていた事を知っている。大阪万博に行ったことがある。などなどで、だいたいの年代を想像して頂けるでしょうか。それ以上の年齢の方は大歓迎。若い方も、興味がある方ならどなたでも)

1週間に1度くらいのタイミングで開きたいなと思っています。もし、よろしければご連絡下さい。ただ今、私と、メンバー登録第1号の方の2名です。管理は私がします。もちろん無料です。気軽に、ちょっと内容突っ込んで、話しませんか?お待ちしてます。

 info2@muraka.jp

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「韓国ドラマ好き」

気持ちが沈んだ時には、楽しい韓国ドラマを見ることです。間違えても、悲恋物は見てはいけません。ヒロインがいじめまくられ、やっと幸せに近づいたと思ったら、病に倒れ、そして・・・と言うストーリーが王道です。韓国ドラマの日本での王道は悪者は徹底して悪者です。そこまで人間は意地悪には生きられないでしょう。フィクションだから、良い。意地悪が極端なほどヒロインに肩入れするので、どっぷりつかるのもいいと思える人は、それでいいのです。私もその一人です。ありえない話が堂々と、まかり通るところがいいのです。リアルタイムで韓国に住んでドラマを見ているわけではないので、あくまで日本での視聴者です。だから、現在の韓国のドラマ事情とかはぜんぜん知りません。DVD化される物を見て楽しんでいるに過ぎません 。最近は少し、王道から外れた物もいいです。以前に紹介した「私の名前はキムサムスン」は最近のヒット作です。意地悪な人が登場しません。ヒロインもけっして切なげではありません。そして、無理やり役のために太った女優さんが主役です。本当に太っているのです。もともとは美人の方なのですが、太って美人ではなくなってます。相手を思いやってけなげになるのでなく、自分のためにとっても頑張るのです。カッコ悪く頑張るのです。でも、そこはドラマ。超カッコいい男性がその女性に引かれていくのです。一般女性は嬉しくなるじゃないですか。そして、誰も死なないのです。誰も事故にあわないのです。誰も記憶を失わないのです。誰も意地悪しないのです。

たった一つ、ヒロインは胸を張る仕事を持っています。そこがドラマですね。一般人は、仕事に胸をはれない。生活のために働くのが精一杯。でも、太ったヒロインが、超カッコいい男性とデートするだけで、嬉しいのです。それでいいじゃありませんか。ねぇ。

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「解らない怒り」

台風や地震の被害のニュースが流れます。でも、私はいつも自分の事ではないとさめていて、悲しい気持ちが湧き出たりしません。本当に、薄情な人間なのだと思います。すぐに被災地に行ってボランティア活動をする人たちを本当に尊敬します。他人の痛みが自分の痛みのように感じられる人。心底そういう人になりたいと思います。でも、一生なれないと思います。私は、周りの人の事を気にします。でも、自分がどう思われているかが中心で、その視点でしか周りを見ることが出来ません。ですから、身体からにじみ出るように思いやりのある人、人の心を察する事の出来る人を雲の上の人のように思います。私の周りの人は、なぜか自然体で人を思いやる人が多いです。

私は、そういう人に誘われて、阪神大震災のボランティアに行きました。私たちが担当したのは、善意で送られてくる物の整理でした。生活用品のあらゆるものが送られてきて、それを被害にあわれた方に渡すまでに沢山の人手が必要な事が、とてもよく分かりました。その時に、感じたこと を、率直に書きたいと思います。送られてくるもののあまりのひどさに驚いたのです。着古した衣類、粗大ゴミかと思うような布団。確かに、日本は他の国に比べ恵まれすぎているのかもしれません。私の感覚が間違っているかもしれません。でも、震災で何もかもなくしてしまった人たちにとって、着古した服がありがたいものなのでしょうか。あのような布団に眠る事が出来るのでしょうか。震災前には皆さん私たちと同様の生活をされていた人たちです。震災にあったからといって、誰が何年使ったかも分からない布団をありがたいと思わなければならないのでしょうか。私たちは、ゴミと被災者の人たちに渡せる物の仕分けの作業をしなければなりませんでした。それは、すごい労働量です。人手のいる作業です。善意というものの怖さを感じました。善意は独りよがりでは善意にはならないと思いました。でも、善意がなければ人は助け合えません。

私は善意のゴミの山を見て、腹が立ちました。なぜだか分かりませんが腹が立ちました。私の心の範囲を超えて解らない怒りがこみ上げました。未だにあの思いを整理できずにいます 。

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「暑中見舞い」

暑中見舞いの季節になりました。ムラカは年賀状、暑中見舞いにテーマとなることばがあります。漠然と作るのは難しいので、代表にいつもテーマとなる言葉を言ってもらいます。今年は、パソコン教室も始めたから、「挑戦」にしようということでした。 頭の中で繰り返し、言葉を唱えます。そしてイメージします。言葉を絵にするとどんなイメージ?と考えるのです。この作業がとても好きです。なんとなくぼんやりとこんな感じが形になり、イメージに合うようなイラストや写真を集めていきます。今回は、暗い宇宙に一歩を踏み出すと言うイメージが鮮明になりました。宇宙を前にたたずみまっすぐに見つめるという絵と図形を組み合わせて作ってみました。ちょっと自分では気に入ってました。特に三角に見立てた小さな人が、静かに宇宙を見ているのが、「いいじゃん」と思ってました。代表いわく、構図的には面白い「85点」まであげよう。しかし、オーバー。パソコン教室の挑戦にこれはオーバーだろう。なるほど本当だ。そんな事より、足で一軒一軒チラシをポスティングする挑戦だ。と反省したわけです。毎年この作業を繰り返しますが、出来上がる事より、イメージしてそれをデザインにしていく作業が楽しみです。何とも比較する必要のないムラカのデザインでいいのですから。代表がOK すれば出来上がり!メインのページのギャラリーを見ていただいて、テーマの言葉を見ていただいて、なんと単純な発想かと笑って下さると作者冥利に尽きるのです。

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「広告宣伝費」

「広告宣伝費」という科目が経理の入力システムに増えました。パソコン教室のために新しく作られました。代表の仕事は自身が営業し自身で仕事をとってきます。ですから、「接待交際費」でした。2回新聞折込のチラシをいれました。今日2回目のチラシがくばられました。今のところ反応セロです。1人でもお客さんにきてもらうことが出来たら、口コミで広がるだろうと思います。その一人にきてもらう難しさを痛感しています。世間の営業職の人から言わせれば、「なんとお気楽」「話になんない」なのでしょうね。たったの2回ですが、私の金銭感覚からいうとかなりのお金です。それが、ゼロと言うのはちょっと厳しいです。ビラ作りにもかなりの時間が使われ、それは、私の時給となりました。私のように代表におんぶにだっこの従業員では経営者は大変です。今後は、自分の足と口でなんとか、お客様第1号が来てくださるように頑張りたいと思います。私のお付き合いのある方ではないお客様第1号が本当の意味での開室と思います。今日一日は電話とにらめっこです。先ほど宅急便のお兄さんから昼ごろ行くと電話がありました。すごい勢いで受話器をつかんだのに、自分の声のトーンが急落するのがおかしかったです。いつもは宅急便が届くのは嬉しいものですのにね。感情の動物の今日の私は全て感情を今日一日で味わいそうです。

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「初めての講習」

昨日 パソコン教室第1日目を開く事ができました。知り合いの人が、生徒役をしてくださいました。一応有料とおっしゃってくださっているので、めでたく講習開始ということです。準備は気があせるばかりで、シュミレーションもあまり想像力豊かに考える事ができないままでした。第1回目ですので、許してくださいでは、許されない事ですが、かなりの反省点が見えました。もっと内容の検討はもちろんですが、字幕のトラブルや準備として、キーボード表の貼り出しやマウスの示し方など、いちいち「○○ボタン」とか、「マウスをクリック、ダブルクリック」と言葉で言うよりも、図をもっと活用して、言葉と具体的なものとの対比を分かりやすくすべきだと思いました。特に聴覚に障害のある人に示す場合には、図表があることで、コミュニケーションがはやくなりますし、的確になると思います。

やってみて、初めて分かる事がたくさんありました。個人に合わせたカリキュラムで進める事が、教室のセールスポイントですから、お客様とのコミュニケーションが一番大切です。初めてお会いする方々とのコミュニケーションをスムーズに豊かにする方法論などありません。ちょっとくさい言葉になるかもしれませんが「誠実」でしょうか。軽々しく言うと「言うだけ」に終わることばです。徹底してお客様の要望を知ろうとする心を中心にしっかりすえたいと思います。そこにきっと方法論が出来てくるはず。経験と想像力と計算と楽しむ心をフル回転させるのは息切れしながらも、嬉しい事です。

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投稿「姉のおにぎり」

 おにぎり」はいろんな物とつながり、いろんなことへつながり、いろんな思い出とつながるようです。「おにぎり」に感想を寄せて頂きました。投稿扱いにして、勝手に載せさせてもらいます。知り合いの人なので、事後承諾で大丈夫でしょう。全文ではありません。

『私の母の”おにぎり”は、三角でした。だから、私と母は三角おにぎりを握ります。でも、姉は”俵おにぎり”だったんです。(???) 姉の家で、おにぎりを姉と二人で作ったことがあります。その時、「なんで、あんたは三角ににぎれるん?」と、姉がびっくりしたように言うのです。「お母さんに教えてもろうたもん。お姉ちゃんは教えてもらわんかったん?」姉は、中学校を卒業するとすぐに、見習い看護婦として病院に住み込みで働きました。看護学校も定時制高校も病院の寮から通いました。だから、姉が母と暮らしたのは、18年間ぐらいです。(15年+結婚する前に家から仕事に通っていた3年)それに比べて、私は結婚するまで実家にいたので27年間も母の傍にいて、甘えていました。私たちが子供の頃、母は朝から晩まで働いて私達を養っていました。帰ってくるのは夜遅くて、(映画館の売店で働いていたので。)ゆっくり、姉におにぎりの作り方を教える時間もなかったのでしょう。家事全般、上手な姉なので、いつも教えてもらうのですが、その時は、三角おにぎり”の握り方を私が教えました。姉の苦労を思うと涙が出てきて、いつもより塩味が効いたおにぎりになりました。結婚しても看護婦の仕事を続けていた姉も、今は退職して専業主婦です。姉は仕事を辞めたら、趣味の陶芸や絵手紙、パッチワークを楽しむと、言っていたのですが・・・。母が高齢で病弱なので母専属の看護婦けん、ホームヘルパーです。私は、大阪にいて電話するぐらいで、何から何まで姉に任せっぱなしです。姉に申し訳ないといつも思っています。でも、姉は今母からいろんなことを教えてもらってるらしいのです。岡山名物の”祭り寿司”とか、母秘伝の”漬物”など。母は、大さじ小さじなど使わないで全部、舌と勘で作ります。 「傍にいるから、教えてもらえるんよ。私はお母さんに今甘えとるんよ。だから、あんたは、世話ができんなんて、気にせんでもいいんよ。」という姉の言葉に甘えっぱなしの私です』

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「おにぎり」

 今日、母が炊き込みご飯を作ったからと、もってきてくれました。私は、料理は好きで結構何でも作るのですが、最近怠け病にかかり、手抜きをして料理をして食べるよりもいろんなものを寄せ集めて、食事にしてしまうような事をしているので、時々、母が「野菜を食べないとだめだ」とお弁当を持ってきてくれるのです。この歳になっても、過保護です。ありがたく「過保護」されています。感謝、感謝。

 母のおにぎりは俵型です。幼いときから、おにぎりは俵型でした。三角おにぎりは別の世界でした。ところが、三角しかおにぎりと認めていないのか、高校の家庭科の時間に三角おにぎりを作るという試験がありました。作れて当然という試験で、作り方は教えてもらえません。手の形や、指の力加減など。家で練習しようにも、母は三角は出来ない。見よう見まねで練習して、母に「これでいいかな」と聞くと、「すごい」とほめられました。三角は母にとっては、どんなものでも「すごい」ものだったのでしょう。試験当日、何とか三角に見えるものを作り自分の前へおきました。皆は、これぞ三角おにぎりというものを当たり前に作っています。先生が回ってこられ、点数をつけていくのです。私のを見て、「おにぎりを作るのは初めて」と感じられているのが、空気で伝わってきます。おにぎりも作れない女性。その先生にとっては、非常識極まりなかったようです。怒りをこめて、低い点数をつけて次の子のところへいかれました。「良妻賢母」=家事が上手。

今思うに、三角しかおにぎりと認定しない先生に対して、「俵型」をあえて作ることができたら、楽しいだろうなと思います。マンガの世界では十分にありえそうでしょう。 教師というのは大変な職業です。間違えれば深く生徒を自分の気づかないうちに傷つけるのです。でも、生徒という仕事も大変です。そんな傷つけられやすい立場にいるのですから、図太く生徒をやれるようでなければ、傷だらけになってしまいます。 母の「過保護」は私が死ぬまで永遠です。感謝、感謝。

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「うちわ」

 私の夏の必需品はうちわです。クーラーが苦手で、扇風機派ですが、眠る時にはうちわであおいで眠ります。最近は不眠でそんな余裕のある眠り方はできませんが、私には最適な涼しさです。昔 むか〜し、お盆休みに田舎に行くと、大人たちが部屋で話しているとき、横でおとなしく座っていると、うちわを私のほうへ向けて誰かがいつもあおいでくれました。私は、その大人のしぐさに「穏やかな優しさ」を感じたものです。昼寝をする子どものそばで母親が、優しくうちわであおいでいる姿は、「極上の優しさ」に溶けそうな絵に見えるのです。私が大人になってしたかった事のひとつです。しかし、私が大人になってみると、子どもに最適な室内温度管理。家でクーラーの生活をしている子に、うちわののんびりした風など涼しさを運びません。自分をあおがず他のひとをあおぐというしぐさに「あこがれ」を抱くのはもう古臭いのでしょうね。でも、やっぱりうちわの風が好きです。パソコン教室はクーラーをかけますので、ご心配なく。でも、うちわの風を送るような講習ができたらいいなと思います。うちわがいらなくても「穏やかな優しさ」は人間には必要ですよね。

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 「チーズ」

 思い出というのは、美化されていくものかもしれません。私はいつもやさしい人たちに囲まれ大事にされているせいか、鮮明に残る思い出は、辛かったことや、悲しかったことが多いです。いつも幸せだから。そして、断然少ないのが、男性にかかわる思い出です。女性職場に長年勤めたせいか、男性とかかわる事がほとんどなかったに等しいのです。学生時代も、高校は頭が悪いのに無理して入った進学校で必死に勉強についていくので精一杯でした。短大は資格を取る為に必修科目に実習とバイトも出来ないくらいの忙しさでした。そして女性職場。まあ魅力的な女性とはいえないので、環境のせいにしているだけかもしれません。 私が就職したのは、保育所。今はそう呼ばないそうですが、保母をしていました。保育士をしていたというとなんだか違う職業についていたような気がします。勤めだして、1週間もたたない頃の事です。その日は、仕事で遅くなるお母さんたちの子どもたちを見る当番。2人の保母で子どもたちと遊んで、迎えに来るお母さんと帰る子どもたちを見送って、また残っている子どもたちと遊んでを繰り返して、最後の一人まできちんと見送って仕事が終わりと言う当番です。1人の保母さんが、お母さんと話をしていて、私が子どもたちと遊んでいました。そこに、おばあちゃんがお迎えに来られました。私は、部屋で遊んでいて、もう1人の保母さんが外で子どもたちを見送っていました。私は、てっきりもう1人の保母さんが、そのおばあちゃんに声をかけていると思っていました。すると、すごい声で、呼ばれました。「あんたはそれでも保母か! 知らん顔してどういうつもりやねん」それからの言葉は耳に入らないくらい、動転して怖かったです。よく覚えていませんが、「すみません」を繰り返しおばあちゃんと子どもを見送ったと思います。胸がどきどきして、怖くて、悲しくて、子どもたちと一緒に遊んでいても、ついつい涙がこぼれていました。

 今思い出せば、たいした事でなく、その後、神経が太くなっていった私だったら、「すみません。声をかけるのおそくなってしもうて。本当にごめんなさい。急いでお帰りの用意しますから、もう少し待ってくださいね」とすごい笑顔で答えたと思います。声をかける事が遅くなる事くらい忙しい保母は日常茶飯事だったのです。子どもたちから目が離せませんから、どうしても、タイミングがずれたりはあるのです。そこをうまくやりこなしていくのは、それほど難しい事ではありませんでした。新米の私は、必死で涙を止めようと思いましたが、とまりません。でも、幼い子どもたちは楽しく遊んでいます。そんな時、私の担任のクラスではない、年長組の男の子がそばに来きました。手には大きなブロックを持っています。「先生写真とったるわ」と言うのです。「チーズやで」。・・・・私はVサインをして、「チーズ」と涙でぐちゃぐちゃの顔を写真に撮ってもらいました。その子はそれだけすると又遊びに行ってしまいました。ものすごくカッコいい男性から声をかけられたのは、私の人生でその時だけだったような気がします。ジャニーズ系の素敵な男の子でした。ミーハーな保母でしょ。でも、自慢の思い出なのです。

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「異文化」

 韓国ドラマを見る時に、現代ドラマは日本のドラマを見る感覚で楽に見ることが出来ますが、時代をさかのぼると、南北の分断や、日本の侵略など、日本人として、心痛い内容のものもあります。また,文化の違いが顕著に現れます。お隣の国ではありますが、文化にはちゃんと違いがあります。欧州、アメリカの文化の違いは、なんとなくカッコいいものとして、映ります。ナイフとフォークの食事や、挨拶のキスなど。しかし、韓国は、顔も日本人と近いのでどうしても日本文化と勘違いしてみてしまいます。例えば、食事。お膳のようなもので、食べながらも、正座ではありません。立てひざをしたり、胡坐だったりします。日本で言えば、行儀が悪いと見られます。そして、食べ方です。日本は、おはしでほとんどのものを食べます。スプーンで、ご飯や汁物を食べたりはしません。韓国ドラマをみていると、スプーンがよく使われます。チゲは鍋ごと出てきたりします。日本では、鍋から食べるのを行儀悪いと感じます。食べ物を口に入れる量。たくさん入れるのです。女の人も。そして、台詞によく出てくるのですが、「ごはんをいっぱい食べないと福がにげる」大口でパクパク食べます。ヒロインでも元気なヒロインはすごく小気味よく食べます。

 私が、最初に違和感を感じたのが、男性がよく泣くことです。日本の男性は人前で涙を見せる事を良しとしません。お葬式以外で、泣かれるとおろおろしそうです。韓国のドラマは、女性も男性も思いっきり泣きます。今日の回は、ずっと泣く場面ばかりだったと思う事もあります。それと、トイレの場面が多い事です。日本では考えられません。女性がトイレに入っている姿などもってのほかです。しかし、必ずと言っていいくらい出てくるのです。「私の名前はキムサムスン」という人気のドラマなど、女性ヒロインが間違って男性トイレに入る事が、出会いのきっかけになったりします。その後、二人の決定的な関係にいたるのが、トイレだったりするのです。

 日本は、島国です。国際化などと言いますが、隣にたくさんの外国の人たちがいる暮らしをしていません。文化の違いを、失礼ととってしまいがちです。視野の狭さなのでしょうね。私は、職場で少し差別問題を勉強したことがあり、朝鮮の文化と日本文化の違いをきちんと見ることを学んだ事があります。それでも、違和感として感じてしまいます。欧州、アメリカは違いとして見れるのに。心の構造は環境で作られるのだと実感します。日本の中で暮らしてきた私には日本人の心の構造ができてしまっているのですね。それが、間違いだと、思っているのではなくて、心の国際化は、文化をきちんと違いとして受け入れる事から始まるかなと思ったりするのです。

 日本のドラマも、韓国のドラマも好きです。単純に面白いと思います。元気になれるもの、おお泣きするもの。韓国のドラマは、曖昧さがないのです。日本は心の機微を繊細に描こうと余韻を残した終わり方が多いです。私はそこにもどかしさを感じます。視聴者に考えさせる。疲れる時があります。韓国のドラマのように、一応の結論、製作者の心の終結は見せて欲しいのです。人生に正しい、間違いはないです。でも、一本のドラマに収束が欲しいです。私は、座り心地が悪くなるのは、嫌いなタイプの視聴者です。お勧め韓国ドラマを2本紹介します。現代:「私の名前はキムサムスン」 南北問題が出てくる時代:「グッキ」次の機会に、内容の感想を載せます。

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「大好きです」

 事務員の雑記帳は、「働くこと」から始まっています。私は、働く事が生き方を決定付けると思い込んできました。人生感が労働感だった時期がありました。でも、仕事は生きがいや人生 感に結びつくものではありますが、それだけでは、ありません。視野を狭くしてしまうと、息がつまりやがて疲れきってしまいます。 そして、浅い浅い人生経験で私が、今の自分の働き方をはっきりさせてみたいと思ったのです。硬い言葉の並ぶ文章になってしまいましたが、必死に考えて書きました。今、読み返すと「なんて下手な文章」「自分しかわからん」と反省してます。でも、大事な文章です。 仕事をする時、自分がどれだけ仕事ができる能力があり、それをどう生かせているかを自分で納得できてないと、人間関係でつぶれてしまうのです。自分の仕事をきちんと評価できずに、他人を評価する事は出来ません。一緒に仕事が出来ないのです。自分の評価は「これができたかどうか」ではなく「自分のできる事をして、働く仲間たちと仕事をどれだけ効率よくこなしていけたか」だと思います。「効率」は量という意味ばかりでなく、気持ちよく働くと言う意味もはいります。

 ひとりひとり仕事のやり方がちがいます。障害を持つ人は効率という点では、評価が低くなります。それは、評価の基準がその人個人の能力評価ではなく、みんなが出来るだろう仕事の分量に満たないと言う事だと思います。今の個人の仕事能力を100%と考える基準が大切だと思うのです。そして、それは、誰が決めるのでなくその人がこれだけはやれますと、言うことだと思います。それを互いに納得するまで、話し合うべきだと思います。人によって、100%は違うのです。人がそれぞれ違うように働く分量だって質だって違って当たり前です。その違いを、納得して1つの大きな仕事を仕上げていくのだと思うのです。

 私は、かつてそういう職場にいました。しかし、私自身が自分の仕事の能力を「努力とか根性とか」のあいまいな精神論で見てしまい真っ暗になってしまいました。そして、ずっとそれを繰り返してきました。働けない時期がありました。今も十分回復したわけではありません。1日仕事が出来ない日もあります。 私は本当に恵まれていて、私を好きでいてくれる人たちに教えられ、仕事の仕方や、ボランティアへのかかわり方をやり直しています。すぐに、自分の人格の問題にいきついてしまう精神構造は頑固に 治りません。でも、繰り返し周りの人たちが、あきらめずに教えてくれます。そして、パソコン教室の企画を具体化し、そして継続して働く事のできる柔軟さが出来てきたと思っています。こんなに恵まれて、しあわせ過ぎて本当に申し訳ないと思いつつ、まあ私を好きなのだからいいかと思い込んでいます。私は、私を好きでいてくれる人たちが、大好きです。

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「モーニング」

 聴覚に障害を持つ方たちが利用する筆記通訳活動にかかわって、10年と少したとうとしています。「要約筆記」と言う呼び方をします。その話は、また、いつか。そのために、毎日10分間ラジオを聞いて要約して文字を書く練習をします。練習時間は決めていません。番組は、その日一番電波の良いもの。昨日は、ニュースバラェティー。話題は、飲食店のモーニングサービス事情。外食産業は競合店が多く差別化が難しい。朝5時から開ける店、朝食のおかずが回転寿司のごとく回る店。茶碗蒸しまでつく安くて豪華店。ラーメン店でもセットで。土佐の高知は喫茶店の多いところだそうだ。ある村は、5000人の住民に14件の喫茶店。朝の農作業が終わった夫婦が、モーニングを食べにくる。一人暮らしのお年寄りの朝の集いの場。来なければ、安否を気遣い店主が、その人を訪ねると言った話が続く。紹介のあと、司会者とコメンテイターとのやり取りが続く。「安くて、おいしそう」「行ってみたい」「村の一人暮らしのお年寄りの交流の場になっているんだ」などなど。しかし、安い、便利、憩いの場と肯定的にまとめる事のできない、司会者。・・・「朝食はやはり家族で食べるのがいちばんですよね」・・・私も、朝食、夕食は家族で食べるのが当たり前で育った世代。朝食にパンが新しい朝食だった時代。子どもの頃は、食事はしつけの場という感じが強いです。

 昨日の「人間らしい」に引き続き、朝食の感じ方の幅の広さ。放送という枠で、偏った放送になってはいけないと配慮した司会者の「家族で食事」の言葉が宙に浮いて、行き場所を失ったようになった。司会者はその言葉の居心地の悪さを感じたのは間違いない。なんだか、ことばがスタジオから、消えずしばらく、司会者の周りをふわふわしているようで、私も居心地が悪くなりました。

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「パソコンと生活」

 穏やかな人間らしい生活。「らしい」というのはよくわかりません。どんな言葉にくっつけても納得できるような出来ないような。だから、人間らしい生活とは何か、などというのは、ものすごく個人差があっって、だから「らしい」なんでしょうね。こんな出だしから、始まったのは、今から始めようとしているパソコン教室が人間らしいのか。中高年の皆さんで、「そんなんなくても生きられると言う人たちに来てもらおうと思っているところに、説得力があるのか。自分なりに気持ちを整理しておく必要があるなと思っています。私は、通勤が苦手です。ですから、仕事の近くに引っ越すという方法で、通勤苦からのがれてきました。満員電車の中で、体調が悪くなるともう生きた心地がしません。次の駅までに自分が耐えられるのか。各駅停車の電車を各駅で降りるような生活はなんとも人間らしい?

 そして、通勤のない仕事と言えば、自宅で働く事です。内職も考えましたが、入力作業の内職などは、50万円の準備金を用意するよう言われたり、どうも怖くて腰が引けてしまいました。そして、自営を選びました。私にとって、人間らしい生活をするためには、自宅で働く事が、最善の方法でした。そのために、パソコンでお客様や、上司と情報をやり取りする事が、必要条件でした。パソコンは決して、冷たい道具ではないでしょう。その人のパソコンへの向かい方はそれぞれでも、やはり人と人をつなげる道具でもあると思うのです。ひとつの手段にすぎませんが。手段は多い方がいいですよね。人間らしい生活に敵対するパソコンではなく、人間らしい生活に寄り添うパソコンになる事ができるように、努力したいものです。

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 {私の韓流」

 韓国ドラマの話を始めるとこのページが一色に染まりそうですが、前回は日本映画で、ちょっと気持ちを静め、今回は、助走ということで。 私が、韓流を「かんりゅう」と読んでいた頃に、私が勤めていたところの女性上司より、「冬のソナタ」の話をされその話に何とか返事を返すために、見ました。内容よりも、きれいな映像と展開の速さと、カッコいい俳優さんに見とれているうちに終わりました。ヨン様は、かっこよかったです。食事をする時も、なぜか、コートを着たままだったり、マフラーをしたままだったり、いろいろな所で、突っ込みは入れられますが、それはそれで、カッコいいからいいというような感じです。ちなみに韓流「はんりゅう」と読めるようになってからは、王道を見続けました。「秋の童話」「美しき日々」「悲しき恋歌」「天国の階段」そして、「パリの恋人」。「パリの恋人」は、ヒロインがけなげ、はかない、病魔におそわれる、と言った王道から、はずれ、ものすごく元気で、そして、意地悪にも耐えるだけでなく、跳ね飛ばしてしまう元気があります。夢のようなシンデレラ物語です。最終回の演出に問題があり、賛否両論分かれるところですが、とにかく幸せなになるドラマです。明るく、元気で、誠実で、そして、よく食べるのに、すごくスリム。人生に苦労はしても性格には苦労はしない。そして、周りに絶対的な味方がいっぱい。やっぱりシンデレラ物語です。静かに見る物語もいいですが、「いいね。その台詞」「もっと言い返して、そうそう」ヒロイン応援団になって見ることが出来るドラマは、楽しいです。

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「村の写真集」

 「村の写真集」というDVDを見ました。私は、テレビが苦手で、あのテンポとぐるぐる変わる映像と、とどまらない音の洪水が、襲ってくるように思うのです。ですから、もっぱら、映像はDVDです。以前はそれさえも、長く見るのがしんどいなと思う頃もありました。でも、今や、仕事が終わり、もう今日は寝る以外何もないという時に見るDVDは最高の楽しみです。

 ダムの水に沈んでしまうかも知れない村の、ひと家族ひと家族を村の風景と共に、1冊の写真集に残そうと、村役場の職員が思いつき、村の写真館の店主(藤達也)が、一軒一軒まわって写真を撮っていくという話です。その仕事の手伝いに、東京に出て、写真家を目指す店主の息子がアシスタ ントとして村に呼び戻されます。母の法事もあり、東京での仕事が順調でない息子はいやいやながらも引き受けます。父と息子は、一軒一軒を歩いて尋ね、写真を撮っていきます。「歩いていく」という事に、父は意味を持ち、息子は手際の悪さを感じています。そして、毎日毎日、村道を父と息子が歩く姿が映し出されます。父の後ろを不満げに歩く息子。関係が、歩く姿ににじみ出ています。そしてそれが、村を歩き、村の風景を見つめなおし、真摯に写真に向かう父を見て、父と息子の距離感に変化があらわれます。村の、奥一番の高所に住む一人のおばあさん。ご主人と戦死した息子の遺影と共に、写真を撮られた後、「ありがとうございます」とお茶をすすめ、作業歌を歌い始めます。静かな村にしわがれたおばあさんのやさしい歌。それをじっと聴く父。・・・・・息子の携帯がなる。席ははずすものの無頓着に話す息子。・・・・父がその息子を殴ります。

 人の心のありようは、それぞれ違い、価値観も違います。どうしても引けない価値観みたいなものがあるのでしょうね。私にも。そして、私の周りの人にも。一緒に生きて生きたいと思う人とは、そこを認め合いたいとおもいますね。物語は、静かな日本の風景に包まれながらも、穏やかだけど、ドラマチックに進みます。ただ、ぼんやりとした風景だけの映画ではありません。自分の中の心のありようも静かにおもいおこさせます。一日が終わろうとするホッとした時間に見てみてください。

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「パソコン教室ムラカ」part2

 昨日に引き続き、パソコン教室への思いです。私がホームページコースの教室に通っている時の話です。私と、ワードを習いに来た男性と、メールでトラブルが起こり、自分のパソコンを持ち込んでの男性の3人。講師は1人。私は、テキストを進めるように言われ、テキストを見ながら、打ち込んでました。私は、文字を打ったり、表を作ったりは、慣れているので、ホームページの中身を作る作業には、ほとんど教えてもらうことはありませんでした。その日は、たまたまそういう表を作ったり、色をつけたりというような内容でした。「できましたか?」と声をかけてくださいますので、「はい」と答え、自習状態。しかし、横のワードの男性は手が止まったまま。何をどうすればいいのやら、と言った状態で、固まっておられます。講師は、メールのトラブルの原因がつかめません。「何をどうして、こうなったのか?」不明状態。その男性は必死ですし、講師をつかんだまま動かしてくれません。そうして1時間はあっという間。私は、一応一日の内容は終え、次に進める状態になってました。新しい情報は何もなかったのですが、ここを通過しないと、次のホームページの勉強に進めません。一番気の毒なのが、ワードの男性。真面目な方なのでしょうね。ただただ、「なんでや」とつぶやくのみで、画面が動かないまま、次回の予約をして帰られました。これでは、お客様に失礼でしょう。メールの男性も消化不良で帰られました。しかし、1時間講師はつきっきりだったのですから、不満を言ったら、ワードの男性の立場がありませんよね。何をどうしたのかが、分からないトラブルを直すのは至難の技です。相当な経験と、生徒さんが起こしそうなトラブルを熟知した人でなければできません。私は、ワードの男性に心が痛みました。作業服で来ておられるので、きっと仕事中の貴重な時間をさいて、通っておられるのでしょう。私でよければ、この1時間をもう一度やり直して、知っていることを、出来るだけたくさん伝えたいと思いました。この私ができる事が重要です。パソコン教室ムラカは、お客さんの要望に答えられないときには、正直に、まだカリキュラムが出来ていないので他の教室へ行ってくださいという教室にしたいのです。ですから、出来るだけ講習の内容を、具体的にして、何をしたいのか、何が出来るのかを一緒に考える事から始めたいと思っています。 無機質なパソコンを真ん中に、笑顔で講習をする事が夢です。

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「パソコン教室ムラカ 」

 このホームページの管理者でありながら、自分のページの更新がなぜないのかと、上司に言われながらも、そのままにしておりました。 パソコン教室がめでたく?開室となりました。今まで、決して忙しい事務業務ではなかったのです。しかしにわかに事務業務も忙しくなり始めました。そして、反抗的な事務員はこのような時にいたり、事務員のページを更新しようとしております。「事務員の品格」を疑われてもしかたがありません。そこでこの場を借りて、教室の宣伝をすれば、問題は半減するかと。教室は、事務所を1階から、2階に移し、その部屋を教室に改装いたしました 。

 パソコンはもはや、仕事で使う道具ではありません。楽しむ道具となりつつあると思います。でも、入り口が少し狭いです。難しいという意味ではなく、締め切った戸の部屋には入りにくい、ノックしてまで、用事がなければ入らない。というような事でしょうか。中高年の人たちにとっては、「使えなくても生きていけるよ」という人も多いかと思います。でも、使ってみたいと思う人も多いでしょう。そういう人たちに、ゆっくりと手助けがしたいと思うのです。パソコン言葉で偉そうに言われたくないと内心で思っている人に、「ほんまや」と共感するのです。パソコン使えるくらいで偉そうにしないでよと思いますよね。 そこで、そんな難しい事言わなくたってパソコンは使えるでという人を増やしたいなと思います。私も、20年前のワープロ時代に教室に通い、このホームページを作るために、教室に通いました。独学は難しく質問にすぐに答えてくれて、解決してくれる人が横にいないと嫌になってしまいます。それで、教室に通いましたが、そこで、いろいろと感じました。複数人数に先生が1人。それがたとえ2対1くらいの割合でも、分からない時に、すぐに教えてもらえないと、待たねばなりません。そしてテキストを読まれて、ひとつずつ自分でやっていくという方法に、これなら、独学にちょっとプラスくらいだなと思ったのです。その思いを根本に「パソコン教室ムラカ」をやってみたいと、企画しました。 お客様の要望にどれだけ答えられるかに、挑戦です。教室は、毎日更新するくらいの意気込みと、人に寄り添う心を大事にしてやってみたいと思います。 事務員のページは、雑感ページです。テーマなし、ポリシーなし、決め事なし。でも、ちょっと真面目に更新暦を増やそうと思っています。三日坊主になってもそれを繰り返せば、六日坊主に。そんな調子でいきます。

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「働くこと」

★主体的な参画

 具体的に仕事の内容を理解し、「任せて欲しい」という仕事の範囲、分量、方法期限等を自分で提示する。他者からの修正(範囲の増減、自己生産性)に対して謙虚に聞き判断する。その上で、自己提示を再度提出。代表が、効率的な計画等を具体的には示していくが、互いの要望も含めて、細かくミーティングを要求する。ミーティングはあくまでも具体的な内容についてであり、労働感、価値観の議論ではない。

★個性の自覚

 現実の自分と向き合う。思い上がりは、ひとつの現実的な自己評価。卑下は対象としない。夢、やってみたいことなどは現実的な業務では対象とせず、今、やれることを自己表明する。協調性は、労働には必要不可欠。しかし、ともに働く仲間に合わせることでも、抽象的に仲良くするという事でもない。自己評価による自己課題の修正などを、きちんと提示し、具体的な援助を求め、業務をできるだけスムーズに進めることである。

★自己責任の自覚

 判断ミスを自己責任で事故処理しない。ミス、迷いは明日に持ち越さない。努力、根性で乗り切ろうとする判断は、決して責任の遂行に当たらない。業務に関して常に、自己生産性を確認し、進行状況を明らかにすることこそ責任。労働は,共同作業。いったん決めたことは、やりこなすなどということにこだわる事は、時には、効率を悪くする.確認し、修正しながら、進めることが責任。

★貢献の自覚

 修正をしながらも、日々実働していることが、貢献であると自覚する。大きく捉えれば、献身や情愛も貢献といえるが、あえて、除外したい。互いの価値観や精神論ではなく、業務を効率的に進め、業務内容の中に貢献の自覚を持つ。

★個人的な労働感の昇華

 精神論で業務を見ないことを原則とした。協調性、チームワーク、情愛、等々。そこには、あまりに個人差がありすぎる。それを述べ合っても、互いの充足にはつながらない。的確な自己評価、的確な他者への要望を踏まえた業務計画と遂行。相対的な労働量の均等化ではなく、自覚的な自己能力の労働量の均等化を労働感としたい。そのため、あえて、それぞれの労働価値観は昇華させる。

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